なにやらわかりにくいタイトルですが…長男が産まれてから22年間、私がやってきた「子育て」について、長男からご意見頂戴いたしました。
なんでこんな話になったのかというと、弟たちが個々にもっとしっかりするには、主体性を持たせないとダメ、みたいなシチュエーションで、結局のところうちの(私の)子育てに足りなかったもの、今からできること、など話が膨らんでいき、最後には母ちょっと落ち込む…という感じになりました。
壁にぶち当たった時、それを乗り越える「自分力」を培うことが大事なので、甘やかしは禁物。これは私も長男も共通して思う土台部分。
長男曰く「お母さんの愛情深さには感謝しているし、何かあった時最後の砦はお母さんだと思っている。しかし…あらゆることを許しすぎていないか?個々の選択・決断は本人に委ねる、それはいいと思う。でも息子の考え方が甘いとか、足りない時に、もっと主体性をもった方向へ導いてやる、それが足りてないと思う」
なるほど…納得です。長男よ、さすがです。

思えばこの長男も、思春期にはネガティブ混じりのガラスのハートの少年でした。嫁ぎ先の家では初孫ということもあり、両親・祖父母・叔父叔母…皆でそれはそれは大事に大事に育てました。禁物とされる「甘やかし」も満載だったので、今思えばそれがガラスのハートを生んだのかも知れない…

あれが欲しいこれが欲しい、ああしたいこうしたい、言えば誰か(主に親?私?)がなんとかしてくれる。そんな環境だったと思います。願いが叶わなければ機嫌が悪くなり、自暴自棄になる。そんな時毅然と制することができない大人ばかりが周りにいたのです。母である私も、自分を傷つけようとする長男に対して、どうすることもできませんでした。ただ一度だけ伝えられたのは「お願いだから私の大切な息子を傷つけないで。それをされたら、私はあなたを守るために、正しい判断ができなくなってしまう。あなたを正しい方向へ導くことができなくなってしまう」…たぶん私、泣いてました。

そんなこんなで、困った長男でしたが。彼自身が、自立して自分で生き抜く力をつける道を選びました。ああしたいこうしたい、という気持ちはそのまま、その夢を叶えるために自分はこうありたいという理想を持つようになり、その理想を目指し努力を重ねる、夢を叶えるのは親ではなくて自分自身なんだと気づいたのかなと思います。

子育てにおいて「主体性を持たせる」ということは、子どもが自分の考えや行動を自己責任で選択して成長する、そのための環境を提供することです。
子どもが小さいうちは例えば、食事の選択を子どもに委ね、自分でメニューや量を選ぶことを促すことなどが挙げられます。日常生活の中でも、子どもは自己決定力や責任感を養うことができます。

うーん…そういうこと、やってこなかったっけ?なるべく自分で選ぶとか自分で決めるとか、うるさく口を出さないようにしてきた私だけどな?
そう、冒頭の話に戻りますが。
私に足りなかったこと…それは責任感を持たせること。正しい導きを示し、子どもたちに気付きを与えること。
「弟たちに主体性がない」という長男の指摘は、すなわち「責任感を持たず育っている」ということ。責任感は押し付けるものではなく、自ら意識して感じていくものだと思いますが、そのような場面がなければ、感じずに過ぎてしまう。親としてのサポートが「サポート」ではなく「代行」になってしまっていたのか。

↑こちらの記事にて、詳しくアドバイスを書きましたのでご覧ください。
一方で、注意が必要な点もあります。
- 過保護を避ける: 過度な保護は子どもの成長を妨げることがあります。適切な自由と責任のバランスを保つことが大切です。余分な口出し手出しは、行き過ぎてないかよく考えて。
- 安全性の確保: 自己決定を尊重する一方で、安全面に留意し、危険な状況を防ぐのも親の役目です。時にはストップをかけて立ち止まらせ、考えさせる時間も必要です。
- コミュニケーションを大切にする: 子どもとの良好なコミュニケーションを維持し、理解し合うことで、主体性を促進する一助になります。親子の信頼関係が、子どもに安心感と自信を持たせる基盤になります。

子どもたちがそれぞれに夢を掲げ、夢を叶えるために自分の言動に責任と自信を持ち、豊かな人生を歩みだせるよう、背中を押してあげたい。
その背中を「大きくなったなぁ…」と眺める時、私たち母は「誇り」を感じることでしょう。
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