「謝らないことが プライドではない 頭を下げたあとに残るものが プライドである」
2020年3月20日にNintendoから発売されたゲームソフト『あつまれ どうぶつの森(あつ森)』のラコスケ。ラコスケの名言と言われる数々の言葉がありますが、その中で1番好きなのがこれ。めちゃくちゃ共感しております。
トラブルが発生した時に…「自分は悪くないから謝らない」という方も多いかと思います。
息子たちも、私が「先に謝ることが大事」と言うまでは、絶対謝らないタイプだったと思います。
身近な例をあげてしまいますが、「トラブルの原因は何か」「原因を作ったのは誰か」「誰が悪いのか」みたいな論議がされる場面を元夫や義父母を含めた家庭内でたくさん見てきました。原因を探ることは、その後同じミスを繰り返さないために重要だと思います。でも、議論されるべきなのは「では、どう解決しようか」ということだと思います。
この「必要な議論」をスタートするために、先に頭を下げることが大切なのです。
もともと私も、素直に謝ることができない人間だったのですが、ある時から「絶対相手に謝らせてやる」という高飛車な発想で「自分が悪いとは思わないけど、あなたの気分を害してしまってごめんね」ぐらいな生意気な気持ちで挑むようになりました。もちろん「自分は悪くない」なんて口にはしませんよ。「私の伝え方が足りなかったね。こんなことになっちゃってホントにごめんね」という感じ。
そうすると…たいていの相手はつられて謝ります。
してやったり。「先に謝った方が勝ちー!」みたいなことを子どもの頃にどこかで聞いたような気もします。ちょっとした優越感も感じてしまいます。
相手が謝れば、あとの話は進めやすくなります。誰がどうしてどうなったとか誰が悪いとか、そんな生産性のない話はさっと流し、場の空気を変え、トラブル脱出する。これがラコスケがいうところのプライドなんでしょうか。
当事者でなくても、家庭や職場などで上の立場に立つ人ほど、頭を下げる場面が多くなるかもしれません。ママさんは、お子さんのことで学校やよそのお宅へ頭を下げに行ったりすることもあるかもしれません。(うちはよくありました!)
ひとつ言えるのは、頭を下げることは恥ずかしいことではないということ。
非を認め、解決を導くための手段として、きちっとできる。
子どものことで謝りに行く時は、敢えて同行させて、頭を下げる私の姿を見せました。特に感想は聞きませんでしたが、今では息子もちゃんと先に謝れる大人になっているので、ラコスケ的プライドも理解してくれているのだと思っています。
三男(18)はまだ謝れない男なので、今に見ておれ!と思ってまだ奮闘します。
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